薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

無力

以前にも書いた事があると思うのだが、僕は秋口の夜が少し肌寒く感じるこの時期になると舞子の浜辺にサンセットを観に行く。

 


狙っている気候に近い日が運良く休日と重なったので、陽の光がややオレンジがかり始めた頃に電車へ乗り込んだ。

 


当時の事を思い出し、あの頃よく聴いた曲をiPhoneで流しながら電車を乗り継ぎ、1時間ほどで舞子駅に到着した。

近くでやっているビアガーデンが最終日らしく、普段はあまり見慣れない、人で賑わう舞子駅だった。

 


いつも陣取る場所は、テトラポットが丁度2人並んだ座椅子の様な並びになっていて、左側に腰掛け、右側にはコンビニで買ってきた缶チューハイ、タバコ、柿の種を置いた。

iPhoneが潮風にやられてしまうのを懸念し、リュックの中で操作し、あの頃の曲たちYouTubeで流し想いを馳せて、空を仰がながら昼寝をした。

 


当時の彼女にはそもそも彼氏がいた。

どういう経緯かは忘れてしまったが、自分の想いの強さだけで勝ち取ってしまい、半年で駄目にしてしまった。

単なる勢いだった。

 


今の自分には、想いが強くともそんな事はもうできないだろう。

人から幸せを奪う事なんて許されないといった、そんな心の善性のような話ではなく、あれから10年の人生の中で、瞬間的な想いの強さなんて、継続する強さの前では無力だと知ったからだ。

 


仕事でも人間関係でも、僕から見てどんなに歪な構造であれ、積み上げてきたものがあるのだ。僕の知り得ないバランスで成り立っているのだ。"キミの彼氏が間違っているよ"だなんて言えるのは、無知だったからにすぎないのだ。瞬間的で感情的な想いには、新たに積み上げられる保証がない。

 


積み上げたものを壊すほど偉くもない。

評価するほど偉くもない。

 


ただ、崩れたものを拾い上げるくらいはできるのかもしれない。

今の僕は、誰かの何かを壊さない為に、ひっそり息を殺して生きているだけなのかもしれない。

 


そんな事を陽が沈むまで考えていた。

大きなフェリーが明石海峡大橋をくぐり、瀬戸内海を進んでいった。

かつて、僕はあのフェリーで大阪に戻ってきた。

かつて自分がいたところへ向かうフェリーを眺めていると、かつての自分へ押し戻されるような気持ちになった。

 

成長しているようで、僕はいつまでも成長していないらしい。