薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

人類はいずれ、ロボットになる。

"トランスヒューマニズム"

 


トランスヒューマニズムは、新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例のない形で向上させようという思想である。(Wikipedia「トランスヒューマニズム」冒頭を引用)

 


わかりやすいものだと、機械式の義手や義足を思い浮かべてしまうが、トランスヒューマニズムはあくまで"人間の状況を向上させる事"を定義としているため、失ってしまった手足を代替するのではなく、人類が肉体的に進化したかのように向上させるものを言う。

 


例えば、脳にICチップを埋め込み、思考スピードを数倍向上させたり、人がパワードスーツを装着する事で数百kgもの荷物を運べるようになる、などだ。

 


僕は昔から雨が嫌いだ。雨の度に"なんでこんなに人類の技術は進歩したというのに、傘が片手を塞いでしまうのをいつまでも克服できないのだろう。"と考えてしまうくらいだ。

 


僕は人類が傘が塞ぐ片手を克服するよりも先に、人類が肉体を捨てロボットと化す未来の方がはやくやってくると考えている。それを言うと皆、"コイツはまた何を言っているんだ?"みたいな顔をしてくるのだが、そいつらに断言できる。あなた方はきっと僕よりも先にその社会に柔軟に対応する。

 


このまま人口過多が進めば、食糧問題も深刻化するだろう。食糧以外にも物資を奪い合う事になるかもしれない。

 


しかし、仮に肉体を捨て、脳の記憶を全てクラウド保存する事が可能になったらどうだろう。もう人類に食事の必要はなくなる。住む土地も水も奪い合う事もない。各国に端末用ロボットを配備して、そこにクラウドから記憶を読み込ませれば、どこへだって行ける。なんならVRで地球の仮想空間を作って生活すれば、物体としてどこかへ行く必要もない。会議で社員と顔を合わせる為に窮屈な電車で通勤する事もなくなる。通信すれば良い。そんな生活に憧れは無くとも、必要性を感じる事が最近起きたはずだ。ロボットになれば、未知のウイルスの脅威に晒される事はない。僕はもう雨を一粒も受けずに済むだろう。

 


緊急事態中、僕の言う事を馬鹿にしそうな連中ほど、ニンテンドースイッチが品切れになる原因となったあのゲームで、仮想空間楽園生活を満喫していた。僕よりも肉体の無い生活を満更でも無いと思っている証拠とはならないだろうか。俗な連中ほど、この波に抗えないと考えている。

 


もはやそれを生きていると定義できるかは僕にもわからないし、賛同もしていない。気味が良いとは思っていない。ただ、世界はその方向にものすごいスピードで向かっていると思うのだ。おそらく人類は、ここ100年の間にこの選択を迫られる。僕は自分の天寿に間に合えば、その運命を受け入れようかと考えている。それが普遍となる前の世界、なった後の世界、どちらも見てみたいと思うからだ。

さよなら、ぼくのなつやすみ。

7月の初め、今年初めての蝉の声を聞いた朝、高知に住む祖父が亡くなったと、母から電話があった。

 


81歳という、現代では長寿とも短命とも取れない歳だったが、まだ足を悪くしていなかったので、ヒトの一生として程よい長さだったのでは無いかと思う。

 


年初から末期癌で余命宣告されており、その宣告通りの時期に息を引き取ったため、僕の中では覚悟が決まっていたのか、母の話を淡々と受け答えていた。

 


その日は仕事を定時までキチンと済ませ、しっかりシャワーを浴びてから家族と合流し、父の運転で高知へ向かった。

 


13年前に祖母も先立っている事もあり、今後高知への用事は少なくなる。最後とまでは言わないがあと数回だろう。

そんな事を考え、何度も繰り返したこの数時間の旅路に名残惜しさも感じながら、エンジン音を子守唄代わりにし、夜中の3時頃に斎場に到着した。

 


対面した祖父の遺体は痩せ細っていて、祖父を見ているというよりは、白骨しかけた別人の遺体を見ているようで、祖父の死の実感を感じる事ができなかった。

自ら命を絶った叔父の時には泣きじゃくった母も、覚悟が決まっていたのか、「お疲れ様やったね。」と淡々と語りかけているだけだった。その冷静さが、余計に僕から実感を奪っていった。

 


母が長女である事から喪主となった為、葬儀は慌ただしく過ぎていった。

前回の段取りを忘れたのだが、斎場の方から、火葬場では棺で祖父の顔を見る事ができないと説明があり、告別式となる。

 


係の方が棺の側まで花を運び、遺族へ花を納めるよう促した。僕が祖父の死を実感し涙する事ができたのはこの時であった。親戚一同、久しぶりの再会だったのもあり、ここまでは不謹慎なくらいにワイワイとやっていたが、母も含め、皆ここで初めて流した。

 


祖母の死後、祖父は近所に住んでいた祖母の友人とお付き合いをしていた。この話だけを側から聞けば、なんなんだと思うのが自然だろう。初め聞いた時は僕もそう思っていたのだが、そのおばさんが始終、一番悲しそうにしていた。祖母の死後、孤独だった祖父を毎日見てきたのはこのおばさんなのだ。祖父が寂しい晩年を過ごさずに居られたのは彼女のおかげなのだ。大阪で仕事を理由にロクに会い行きもせずにいた僕たちに悲しむ資格などあるのだろうかと思うほどに、おばさんは一番多くの涙を流していた。

 


花が大好きだった祖父に、花をいっぱい詰めてあげてくれと母が言った。親戚一同に加えておばさんも一緒になって、全ての花を納めていく。最後は雑に詰めていく皆の手が気に入らず、独占して綺麗に手入れし整えてやった。最期は美しく在るべきだからだと母に言ったら、苦笑いしていた。

 


祖父の家に戻り、今後の流れを一通り話し合った後は、母達の手料理を親戚一同で食卓を囲んだ。子供の時以来の光景だった。

お盆には毎年、祖父、祖母、従兄弟の家族達と町の花火大会に行き屋台を堪能し、四万十川でバーベキューと川釣りをし、叔父の車で土佐湾に海水浴に行き、夜は祖父の照らす懐中電灯の灯りを頼りに、クワガタムシを誘い出す罠を仕掛けに蚊取り線香の入った缶をカンカン鳴らしながら山へ入った。

皆、成人を迎えた今、このメンツでこんな事をする事はもう無かっただろうが、僕の中で高知の夏とは、祖父無しでは成立しないものであり、祖父がいなくなる実感とは、この夏がもう起きる事が無いという、喪失感だった。

 


驚くほどに金も無く、威厳も無い男であったが、娘達には嫌われる事なくいつまでも慕われていた。こんな歳になっても祖父に彼女がいたのは、祖父が本当に優しい男であったからだろう。そんな祖父に敬意を込めて、娘達は何故か皆、子供達に彼の事をおじいちゃんでは無くじっさまと呼ばせていた。

 


さよなら、じっさま。

さよなら、ぼくのなつやすみ

僕の思う"謝罪"

この歳になって、ヒトとしての間違いに厳しくなったような気がする。
大人として自他共に律する事ができるようになったのか、単に頭が堅物になったのかは自分ではわからない。
しかし、そう在る方が人間関係が精錬されて行くと思う。失礼をする人は人脈から消えて行くし、約束事も基本守られるので、やりとりがスムーズだ。
何せ、僕はヒトを許す事に疲れてしまったのだ。間違ったらすぐに謝るというマナーがあるが、謝るよりも、謝罪する状況を生み出さないよう注力してほしい。許す事は、許す側の心に負担がかかるともっと強く認識していただきたい。
"謝ったら済む"は大抵の場合、謝罪する側の心の内だけでは無いだろうか。謝っても、事実何も変わらない方が大半なのだ。謝罪を受ける側に、自分の非を飲み込むよう、強いているだけではないだろうか。
僕は"いいよ"と返事して、良かった記憶はあまりない。それ以上相手を問い詰めても何も変わらないから、"もういいよ"の意味で"いいよ"と返した記憶が大半だ。

 

"あなたは謝罪という、便利な免罪に甘えて生きてやしないだろうか。"

ノスタルジーに殺されかけた。

実家に向かうために原付を20分ほど走らせると、数年前まで慣れ親しんでいた県道に出た。

新型コロナウイルスでの緊急事態宣言が明けた初日の土曜日、スーパーマーケットの前は夕食の食材を買った帰りであろう多くの家族連れで賑わい、ある家族は初夏の夕暮れに照らされながら売店のソフトクリームを舐めている。約2ヶ月ぶりに見た人々の賑わいは、街そのものが喜んでいるように見えた。

端っことはいえ大阪市内に住む自分としては、なんだかベッドタウンの日常が少し田舎臭いように見え、それがなんだか気恥ずかしく思えた。

 


家族との約束の時間にはまだ早く、昔懐かしい場所を回る事にした。

父の破産により売却された戸建ての家には新たな住人が入ったようだ。

新しい住人は、あの急な階段には困らない年齢層の方なのだろうか、もう悩まされない他人の問題であるにも関わらず、自分の問題のように錯覚してしまう。

戸建てに引っ越す前のアパート周りは、虫を採ってまわった田んぼや畦道がアスファルトで埋め立てられ、それがかつてあったという痕跡さえ見当たらなくなっていた。

自身の実家の境遇から、行く先々の友人たちの家の表札の名前が変わっていないかを確認してしまう。

今だからこそ、変わらずに居続ける事の尊さ、偉大さがよくわかる。友人たちの両親は我が子が30歳を過ぎるこの歳まで、さぞ立派に勤め上げたのだろう。

 


小学校は私が6年の時に30周年の式典をしたが、今年は50周年の準備に追われているようだ。中学校は大阪北部地震の影響で石壁が取り払われてフェンスになっている。知らない間に多くの事が変わっている。

できれば同級生には会いたくない。伴侶や子供を連れていたら、いつまでも次に進めず、望郷に思いを馳せている自分がより惨めに思える。

 


景色が目まぐるしく変化し、知っているものがなくなっていく事は悲しい事ではなく救いなのかもしれない。執着する事もなくなり、各々が新しく築く未来へ進みやすいよう後押ししてくれているようにも思えるからだ。

ウィズコロナを決めた夜、僕はこうして自粛を過ごした。

2020年5月14日の18時頃、一部都道府県を除き39県の緊急事態宣言の解除が発表された。

これはこの国がコロナが撲滅されるのを待つのではなく、コロナと共に歩むと決めた事を意味する。

 


緊急事態宣言の中、私の職場も短縮営業、チーム分けシフトとなり稼働日数が激減した。

ブログ記事を書くにはうってつけの空き時間ができたが、どうしてもこのコロナムードの中では社会的な内容となってしまい、それが嫌で筆から手が遠ざかっていたが、この自粛期間中の過ごし方に自分の中で納得がいった為、書いてみることにした次第だ。

 


これを書いているのは緊急事態宣言一部解除が発表された5月14日の夜である。

県外への不要不急の外出自粛が呼びかけられる中、以前から末期癌であった祖父の容態が悪化し、両親と共に高知に来ていた。

 


店舗での稼働がない日は流行りのWeb研修や会議が連日続き気が張っていたが、それをサボる大義名分ができた為、焼酎と久しぶりの母の手料理でまったりとした夜を過ごす事ができた。

 


職場の皆は普段テレビゲームの興じない者もニンテンドースイッチを買い、空いた時間を持て余していたが、この自粛期間により空いた時間の使い方は、今後の人生に大きく影響すると感じ、使い方に気をつけていた。

遊ぶのが悪いという訳ではなく、普段"時間があればやるのになぁ。"と思っている事をやらないでいるのは、普段から言い訳がましく生きている事の証明になりかねないと思い、普段からやりたいと思っている事だけに徹底して時間を振り分けた。これまでに緊急事態宣言中にした事をざっと書き上げてみた。

 


・発売を待ちに待ったファイナルファンタジー7 REMAKEを一気プレイしてクリア。

・前から気になっていた「PSYCHO-PASS」(アニメ)を一気見。

・自身の精神的な課題として前から気になっていた、HSP(敏感過ぎる人)についての本を読んだ。

・初めてKeynoteを使用して研修資料を約50ページを作成した。

・ZoomにてWeb会議&研修(受講と講師両方)、そしてたまに飲み会。

・春服をあまり持っていなかったのでやる事がなく余ったお小遣いで一気買い。

・恥ずかしながらこの家で初の換気扇掃除。滑りを完全に取り除いた。

・ついでに調理家電を重曹でピカピカに磨き上げる。

・今まで電子レンジと炊飯器を床に直置きしていたが、Amazonでキッチンラックを購入し、組み立てて設置。

・カーペットの洗濯。夏前なので片付ける。

・初めてSNS上に弾き語り動画を投稿する。(現在3曲。過去に演奏した曲やオリジナル曲も。)

・PC作業を捗らせる為にスタンディングデスクが欲しかったが、本棚の上を全て片付けて代用可能の環境を作った。

・夜に時間の空きと都合が合えば、ヒトと仕事以外の気軽なコミュニケーションを味わう為にモンスターハンターをオンラインプレイ。

 


自分らしく在れたか、芸術的、文化的で在れたかという裏テーマもあった。

手帳のメモは通常時よりもみっちりと書かれている。

Web研修についてはアウトプットの機会が多く持てた上に、多くの時間を使ってインプットする事もできた事で、大幅にスキルアップする事ができた。

 


この自粛期間、充実、スキルアップ、精神面も含め自己衛生管理に徹底した事で、強固な自己を作り上げられたと実感できている。

 


本当に素敵な時間を過ごしたと思う。

私はこの自粛期間を神様からの素敵な休暇に変換する事ができた。

これからもそう思い続けられるよう、予防に努め、ウィズコロナと向き合っていこうと思う。

花屋になれば良かったと思う事があるのだ。

花屋の前を通るたびに、"花屋になれば良かった"と思うのだ。割と本気で。顔にも図体にも似合わず。

 


何故かというと、花屋、特に切花屋に悲しい思いを抱えてくる客はいないだろうと思うのだ。基本、お祝いであったり、何か想いを伝えるためであったりだとか、ポジティブなエネルギーを持つものだけだと思うのだ。他向けの花だって、他向けようという行為自体がポジティブだ。

 


昔、イタリアの街をあてもなく歩いて回るロケ番組で、夜中までやっている花屋の男性店員に声をかけていた。

 


「何故、こんなに遅くまで営業されているのですか?」と、活発そうな女性リポーターが尋ねると男はこう答えた。

 


「この国の男性は女性に想いを伝えるのに一日中、花が必要だからだよ。」と。

 


さすが伊達男の国。だがこの国の伊達男たちの花を一日中用意する一生は悪くないと思った。今からでも素敵な花屋になれるだろうか。

春の散文

この冬に着ていたジャケットが少し暑苦しく感じ始める。この頃の夜風の香りは、桜景色で嗅いだ香りに似ていて、まだ桜が咲くにははやいというのにそれが桜の香りかのように錯覚してしまう。

繁華街では新型コロナウィルスの影響が本当に出ているのか疑ってしまうくらい、いつも通りにごった返し、華やかに着飾った若者たちが、ゆく先々の居酒屋の前でそれぞれ円陣を作り、別れを惜しみ泣き笑っていた。

 


彼らと同じ歳の頃、僕は自分の好きなジャンルの音楽しか良しとして聴くことができなかったが、今日はなんだかCoccoの歌声が心地良く感じられた。初めての事だった。

いつしか、違いを楽しめるようになったのだ。自分が好きか嫌いかなんかは差し置いて、良し悪しを考えてもいい事に気づいたのだ。いつからかはわからない。歳を取ることを良いと思えるのは、きっとこういう事を言うのだろう。

 


そんな事を思いながら、原付バイクを行くあても見つけられずフラフラと転がし、コンビニで買ったアイスコーヒーをすすりながら、いつまでも家に帰れずにいた。