薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

僕の思う"謝罪"

この歳になって、ヒトとしての間違いに厳しくなったような気がする。
大人として自他共に律する事ができるようになったのか、単に頭が堅物になったのかは自分ではわからない。
しかし、そう在る方が人間関係が精錬されて行くと思う。失礼をする人は人脈から消えて行くし、約束事も基本守られるので、やりとりがスムーズだ。
何せ、僕はヒトを許す事に疲れてしまったのだ。間違ったらすぐに謝るというマナーがあるが、謝るよりも、謝罪する状況を生み出さないよう注力してほしい。許す事は、許す側の心に負担がかかるともっと強く認識していただきたい。
"謝ったら済む"は大抵の場合、謝罪する側の心の内だけでは無いだろうか。謝っても、事実何も変わらない方が大半なのだ。謝罪を受ける側に、自分の非を飲み込むよう、強いているだけではないだろうか。
僕は"いいよ"と返事して、良かった記憶はあまりない。それ以上相手を問い詰めても何も変わらないから、"もういいよ"の意味で"いいよ"と返した記憶が大半だ。

 

"あなたは謝罪という、便利な免罪に甘えて生きてやしないだろうか。"