薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

ノスタルジーに殺されかけた。

実家に向かうために原付を20分ほど走らせると、数年前まで慣れ親しんでいた県道に出た。

新型コロナウイルスでの緊急事態宣言が明けた初日の土曜日、スーパーマーケットの前は夕食の食材を買った帰りであろう多くの家族連れで賑わい、ある家族は初夏の夕暮れに照らされながら売店のソフトクリームを舐めている。約2ヶ月ぶりに見た人々の賑わいは、街そのものが喜んでいるように見えた。

端っことはいえ大阪市内に住む自分としては、なんだかベッドタウンの日常が少し田舎臭いように見え、それがなんだか気恥ずかしく思えた。

 


家族との約束の時間にはまだ早く、昔懐かしい場所を回る事にした。

父の破産により売却された戸建ての家には新たな住人が入ったようだ。

新しい住人は、あの急な階段には困らない年齢層の方なのだろうか、もう悩まされない他人の問題であるにも関わらず、自分の問題のように錯覚してしまう。

戸建てに引っ越す前のアパート周りは、虫を採ってまわった田んぼや畦道がアスファルトで埋め立てられ、それがかつてあったという痕跡さえ見当たらなくなっていた。

自身の実家の境遇から、行く先々の友人たちの家の表札の名前が変わっていないかを確認してしまう。

今だからこそ、変わらずに居続ける事の尊さ、偉大さがよくわかる。友人たちの両親は我が子が30歳を過ぎるこの歳まで、さぞ立派に勤め上げたのだろう。

 


小学校は私が6年の時に30周年の式典をしたが、今年は50周年の準備に追われているようだ。中学校は大阪北部地震の影響で石壁が取り払われてフェンスになっている。知らない間に多くの事が変わっている。

できれば同級生には会いたくない。伴侶や子供を連れていたら、いつまでも次に進めず、望郷に思いを馳せている自分がより惨めに思える。

 


景色が目まぐるしく変化し、知っているものがなくなっていく事は悲しい事ではなく救いなのかもしれない。執着する事もなくなり、各々が新しく築く未来へ進みやすいよう後押ししてくれているようにも思えるからだ。