薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

花屋になれば良かったと思う事があるのだ。

花屋の前を通るたびに、"花屋になれば良かった"と思うのだ。割と本気で。顔にも図体にも似合わず。

 


何故かというと、花屋、特に切花屋に悲しい思いを抱えてくる客はいないだろうと思うのだ。基本、お祝いであったり、何か想いを伝えるためであったりだとか、ポジティブなエネルギーを持つものだけだと思うのだ。他向けの花だって、他向けようという行為自体がポジティブだ。

 


昔、イタリアの街をあてもなく歩いて回るロケ番組で、夜中までやっている花屋の男性店員に声をかけていた。

 


「何故、こんなに遅くまで営業されているのですか?」と、活発そうな女性リポーターが尋ねると男はこう答えた。

 


「この国の男性は女性に想いを伝えるのに一日中、花が必要だからだよ。」と。

 


さすが伊達男の国。だがこの国の伊達男たちの花を一日中用意する一生は悪くないと思った。今からでも素敵な花屋になれるだろうか。