薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

平成では大人になれなかった

昭和63年12月、僕はこの世に生を受けた。

この約1ヶ月後には年号が変わり平成の世となる。つまり、僕が物心ついた頃には平成であり、僕の持つ全ての記憶が平成のものという事になる。

 


僕の数え歳は平成とイコールだ。平成の年数が語る記憶はその歳の僕の記憶である。

父と母に取り上げられたのも、妹の顔を初めて見た病室も、幼馴染みと過ごした日々も、誰かを好きになった日も、誰かと二度と会えなくなったのも全てが平成だ。

 


僕は平成20年で大人になる事ができなかった。仕事に真摯に取り組む事も、誰かをまっすぐ愛する事も、自身をしっかり見つめる事も、どの力もハタチの時点では持っておらず、ここ10年で何とか平均帯に持ってこれたのでは無いかといった具合で、やっと大人としての感覚に違和感を覚えなくなった。

 


よって、僕にとって平成は幼少期の様な位置付けとなった。

明日の令和からは心機一転、大人として迎える様な緊張を覚えている。

 


未熟さばかりが目立つ苦しい平成だった。

明日からは人生の中盤戦を自覚し、しっかり生きてゆきたいと思う。

 

清く、正しく、美しく。