薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

どこもかしこもバチェラーよ。

※筆者は詳しくないのだがバチェラーのネタバレが含まれるかもしれないのでご注意を。

 


職場でもTwitterでも、身近な女性達がバチェラーに夢中だ。バチェラーについて知らない人はWikipediaで検索か、Amazonプライムを契約してみて欲しい。


職場のある女の子が言うには、これまで3シーズンのバチェラーが行われ、男は最終的に自分が一番好きな女性と、自分を一番好いてくれている女性の2択となり、シーズン1、2の男は好きな女性を選んだが後に破局。3に関しては自分を好いてくれていた女性を選んだが1ヶ月後には別れ、その後に自分が好きだった方の女性と交際しているらしい。


元々、僕がAmazonプライムを契約している事もあってこの様なプレゼンが数人の女性から僕に向けてなされたワケだが、いかんせんバチェラーを男性から勧められた事が一度も無く、未だ再生する勇気が出ない。


その女の子からすると"結局男って本能的に追いたい生き物なのね!"という感じの様なのだが、一男性目線でそのままうなづく気分にもなれず、ウーンと細い声で唸るだけの返事となってしまった。


男たちの選択に否定も肯定の思いも無い。共感も無い。ただ、偶然にもその様な話題をしたところであったので気持ちにずっと引っかかっていた。


僕もどちらかと言うと、自身が好いている相手を選ぶ方なのでは無いかと思っているが、追いかける恋愛がしたいという理由とは少し異なる。
僕は他人から向けられる好意の持続には自信が持てないのだが、自分から発する好意の持続には自信があるのだ。
簡単に言うと、裏切られたくないという事かもしれない。


この生き方はなかなか苦しい。
愛情の"量"に返報性は比例しないとだろうし、そもそも、それの向きが的外れであると何も返ってもこない。死ぬほど体力だけを奪われる全力の素振りの繰り返しの様なものだ。


恋は追うか追われるか。人類史が始まって以来、一体どのくらいの年月を費やして女性達はこの議論を続けているのだろうか。


人類史が始まって何万年も出ていないこの答えを、自分達なりに叩き出して付き合っている皆様を本当に尊敬する。


僕はたかだか人生30年で見いだせる気がしない。