意のまま気のまま
口の中にチョコレートを含み、そこにウイスキーを一口流し込む。ウイスキーで口の中のチョコレートを溶かしながら、読みかけの本に手を伸ばした。
こういう食べた方が正しいのかはわからないが、昔からチョコレートとウイスキーという組み合わせが好きだ。
部屋ではジャズを流す。一見モダンなスタイルだが、それが流れ出ているところはレコードプレーヤーやコンポではなく、YouTubeであるところは現代的だ。
こういった過ごし方から、私は外見に似合わず、気取っていると言われることが多いが、多くの人は過ごし方にこだわりはないのだろうか。
アロマを炊くでもいい、深夜のドライブでもいい、自分らしい大切な時間を持っていないのだろうか。
私は別に気取った過ごし方をしたいわけではない。ただ、適当にその日にやっているテレビ番組を流したりするのではなく、自分で選んだと実感できるもので生活を満たしたいだけなのだ。
自分で選んだわけではない、その日に偶然やっていた番組、その日に偶然売っていた惣菜や弁当、その日に起きた自分とは関係のない誰かのスキャンダルで、自分の人生が埋もれていってしまう事に怖さを感じる。
いずれ自分というものが、ただのコミュニティーとしての一部分となって、無い物と変わらぬほどに薄まっていくのが怖いのだ。
明日の晩は、コーヒーをすすりながらDVDを観ているかもしれない。ギターを爪弾きながら鼻歌を添えているかもしれない。
私の健やかな人生に、見えない誰かの力が及ばぬように、自分の意のまま気のまま生きていきたい。