薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

No title

メッセージSNSの"最近更新されたプロフィール"の中に、もう15年は口を聞いていないであろう友人のトップ画の更新があげられていた。

開いてみると、友人の子供と思われる男の子ふたりが、公園のベンチらしいところに並んで座っているありがちな写真だったのだが、幼い方の男の子が、友人の幼い頃にソックリで笑ってしまった。

 


その友人とは小学、中学と一緒であったが、彼は比較的勉強ができ、クラスの中でごくごく普通の男子であった。そんな彼は私の知らないところで15年の人生を生き、二人も子をもうけ、おそらく幸せに暮らしているのであろう。

 


羨むというよりは、彼と人生を共にしていた幼少期から、心の持ちように何の変わり映えも感じられないまま成人してしまった私からは、全くもってこのような人生の想像がつかず、この状況を想像可能な範疇にさえ持って来れていない自身の生き様を恥ずかしく感じた。

 


彼のように勉強をしていればこのような人生もあったのだろうか。

彼のようにつっぱる事なく、友達付き合いをしていればこういう人生もあったのであろうか。

 


どのような選択をしても彼のような、ごく一般と呼ばれるような人生を、自分自身が歩んでいる想像が全くつかなかった。

 


子も嫁も家も持つ事無く30歳となり、目標が持てぬまま新しい年が始まったが、それでも自身の関心といえば、よりおもしろい文章を書けるようになりたいという思いだけであった。

 

毎年思う。あけましておめでとう、何がめでたい。お世間様よ、私の知らないところで勝手にめでたくなるな。

 

これ以上私を置き去りにするな。