薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

隣の席の女の子

ドラクエが好きなんですか?」
少し不安げに見える華奢な女の子はそう言った。初対面の女子に唐突に話しかけられて、僕は中1の男子らしく硬直してしまった。
なんでドラクエ好きがわかったのか?これは筆箱にバトルエンピツが入っていたので後々合点がいった。
もうひとつは、何故男子の僕にいきなり声をかけたのか。この世代で異性に対し気さくに声をかける人間は少しめずらしい。
硬直したまま返答できずにいると、「もういいです。」と少し照れた顔を隠すように黒板に向き直してしまった。何か言わなきゃと考えてはみるものの、しっくりくる返事が見当たらない。僕の中学時代の恋はこんな事から始まった。
隣の席のKさん。きっと出会ったこの時が一番近かった。
始まりが一番近い恋なんて、なんとも切ない響きだが、中学時代の恋愛なんて多くがそんなもんじゃなかろうか。

中学1年の春、僕は順調なスタートを切っていた。
後ろの席の男の子は絵に描いたようなメガネ優等生のI君。男子からも女子からも人望がある彼とドラクエで意気投合し、入部しようと思っていた部活も同じテニス部で、彼のおかげで友達は順調に増えていった。
そんな中での学生生活名物、入学以来初の席替えである。
僕は教卓の真正面の席だった。僕のクラスの席は男女ペアで4列、男子は左、女子は右といった具合になる。僕は上手側のペアで、Kさんは下手側のペア。ふたりで教卓を挟んで正面にした形だ。
僕は仲良くしているグループが窓側後ろの方に固まっていたので、その事にばかりが気がかかって、Kさんの事には全然気づいていなかった。そんな時に声をかけられた。 
僕が硬直したのは、話しかけてくる彼女が煩わしかった訳でもなく、女子と話すのが不慣れだからなどでもない。むしろ女子と話すのは女慣れした幼馴染のおかげで免疫がついていて得意だった。
話を戻すが、硬直してしまったのは彼女が何を求めて声をかけてきたのかわからなかったからだ。
彼女もドラクエが好きで思わず声をかけてしまったのか。それならば何故、私も好きなのだと伝えてくれなかったのだろう。
何故敬語なのか。初対面には思わず敬語を使ってしまう子なのだろうか。
僕はこの一言から読み取った情報が多過ぎて拾いきれず、硬直してしまったのだ。
何故気の利いた返事をしてあげられなかったのだろう。この後悔がKさんを気になる異性へ押し上げた。

Kさんとはすぐに会話できるような関係になったのが、直接疑問を投げかけても「知らなーい。」とはぐらかされてしまう。
硬直して返事をしなかった事へのささやかな仕返しらしかった。
憎たらしい感じではなく、少し照れ隠しをするようなごまかし方に可愛らしさを感じていた。
彼女を見ていて、あの時の疑問は少しずつ解消されていった。
彼女の事を友人たちに聞いてみても元々顔見知りである者がいなかった。この近隣の小学校の出身ではないのだろうか。だが帰り道で見かけた。僕の出身小学校の校区だ。
つまり、彼女は入学と同時に転校してきた生徒なのだ。
敬語だったのは、慣れない大阪の人間に警戒心があったのかもしれない。

ドラクエは兄の影響で自分も好きだと話してくれた。
分かる人には分かる話だが、オネェキャラのボスキャラがいて、それを真似して見せてくれたりした。いつも兄がプレイする横でそんな事をしているそうだ。その滑稽な姿を思い浮かべてみる。そんな事さえ可愛らしく思えてしまう。

彼女とはたまに楽しげに話をするだけで、中2、中3はクラスも別、やがて疎遠になった。
すべり止めの受験校が同じである事を願書提出の時に知り、思わずお互い志望校に落ちる事に賭けてやろうかと思ったが、想い人の受験失敗を祈るなんて罰当たりだと思ってやめた。

そもそもこの恋にゴールはなかった。
というより、あの頃はキスのその先も知らなかったのだから、恋をどう進め、どう終わらせるかわからなかった。
大人と呼ばれる歳になって、ただ好みに合う女性と出会って、付き合って、色んな事を一緒に感動したり身体を何度も重ねる事よりも、あの頃みたいに終わりを感じずにずっと想い続けることができたらどんなにいいかと思う時がある。
大人になった僕らは何を始めるか、誰と始めるか、いつ始めるか、そしていつ終わらせるか、全て自分で決めなければならなくなった。
何かを終わらせる事を、卒業式などの区切りで大人に決めてもらえ、ただそれまでに懸命に生きる事ができた日々は、なんとも贅沢な子供の特権だったのだ。

青春時代の恋は説明もつかないような理由やキッカケから始まる事が多いクセに、やけに想いばかりが大きくなってしまうのはきっと僕だけではないだろう。
青春時代の恋を超えられないまま、何度も出会い別れを繰り返し、男女で一緒に居る事も特別な事では無くなって、相手に恋焦がれる気持ちに深みを感じられなくなったとしても、せめて相手を大切にする事だけはあの頃の自分より上手になったと信じたい。

深く恋する事ができなくなっても、深く愛する事はできるのだ。