薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

秋の夜長、ジントニック 550円

まだ自分が専門学校生の時、兵庫の加古川から大阪の学校へ通うひとつ歳上の先輩と付き合っていた。あまえたで、どちらかと言えば妹気質な女性。この世代ではありがちだが、酷く心を落としていて、正式に医者に解離性同一性障害と診断された本物の二重人格だった。


彼女と別れてから、面倒ごとをなるだけ避けて通る性格が芽生えたと思う。恋愛に不慣れな年頃は、どうしてか気苦労の多い女性を選びがちだ。


彼女と付き合うか付き合わないかという頃に、大阪と加古川の中間くらいに位置する舞子という土地に呼び出されて向かった。明石海峡大橋がある所と言えばわかりやすい。橋のかかる所の真下のテトラポットの上で、少し夜風が冷たくなり始めた9月の終わり、夕陽が沈むの眺めながらふたりで話した。彼女の心の問題をどうしてあげたらいいのか、10代最後の歳になろうとする僕と、2週間ほど前に無理やりハタチに押し上げられたばかりの彼女には解決する力も無く、それでも懸命考え、ふたりで力一杯嗚咽して泣いた。


今思えばふたりとも未熟であったし、わざわざ気苦労する相手を選んだあの頃の僕に対して愚かだったとそんな言葉だけで片付けられる思い出だが、ただただ一生懸命相手の事を考えようとしていたあの時の自分を愚かだと片付けるのは違うと考える時がある。

今になって考えると、あの頃の自分よりもその後の、面倒ごとや面倒な人を避けて通り、大切な人を見つける事も、守り抜く事もしようとしなかった僕の方が何倍も愚かだったと思うのだ。


テトラポットの上で泣いたあの時と同じこの季節になると、1、2年に一度の頻度で誰にも告げずに舞子の浜辺に夕陽だけ見に行く事がある。缶コーヒーと吸いなれないタバコを買って、日の沈んでゆくのを眺め、一生懸命だったあの時の自分を思い出し胸に焼き付けて、三ノ宮に立ち寄ってお気に入りの焼き鳥屋で満足の行くまで串を頬張って帰るのだ。

 

近い休みはあいにく天候に恵まれず、今年はそれが持ち越しになりそうだが、梅田で偶然立ち寄ったテラスのあるカフェバーで550円のジントニックを片手に思い出す事ができたので良しとしよう。腹が減った。