薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

【1】ライク・ア・ローリングストーン

23歳の夏、僕は父親に実家を追い出された。


持てるだけの私物をリュックに入れて家を出た。

その頃、僕は気を病んでしまい、バイトの面接に受かっても1ヶ月も続かずに転職を繰り返し、実家へ満足に生活費を入れる事もできなくなっていた。

その頃の父親との確執や仕事への想いについては今回は割愛して、その後に約半年間、大阪を離れて住み込みのアルバイト、最近ではカジュアルにリゾートバイトと呼ばれるもので食いつないでいた頃の事を「ライク・ア・ローリングストーン」シリーズとして何話かに分けて書いていきたい。


7月1日に家を追い出されてからは友人からお金を借りて夜行バスなどを駆使して祖父の家に行ったり、大阪の何人かの友人の家を行き来して何とか最初の仕事を見つけるまで耐え凌いだ。約3週間かかった。


最初の配属先は鳥取西部の大山の近くにあるリゾートホテルで、ホテルの雑務全般と、離れにあるキャンプ場の管理の仕事だった。

大阪駅から出る高速バスの切符をなけなしの4500円を払って残金は3円、数時間バスに揺られて指定のバス停まで移動。蜘蛛の巣だらけのバス停。たまに車が通るが人を全く見かけない。スマホで調べると近くのコンビニまで2.2km、不安しか募らない。

表情から何とも感情が読み取れない汚いデブの館長の迎えの車に乗り、20分の沈黙の山道ドライブ、大まかな説明の後に、ぶっきらぼうに渡された寮のカギを握り部屋に入った。


ユニットバス、下駄箱、硬いベッド、標高が高く涼しい場所にあるホテルだったからか、はたまた予算的な問題なのかはわからないがエアコンは付いて無かった。

自分が自由に使っていいベッドがあり、少なくとも追い出されない限りは40日間は明日の飯を悩まずに済む。それを思うと、これからの無愛想なデブとの生活も、財布の中の残金3円も、エアコンのスイッチを入れる事ができない夏もどうでもいいと思わせた。まだ16時半くらいで外もまだまだ明るかったが、長旅と追い出されてからの生活の疲れもあって眠る事にした。


目覚めた時には22時くらいになっていた。腹が空いていたので、夕食が置いてあると聞いていた本館の従業員用の食堂へ向かう。

従業員用の裏口から本館の食堂へと続く廊下は夜の学校や病院を思わせる静けさで、夏虫の声が響きジンと蒸し暑く、あかりは非常口マークの白と緑の薄明かりしかない。初めての土地、駅までは街頭もない山道を数時間歩かないと逃げられない土地で怖さもあったハズなのだが、この頃の僕はそういった感覚が鈍っていた。食えたらいい、眠れたらいい、別に未来に期待もできなかったので、知らないど田舎の魑魅魍魎に殺されてもいい、どうにでもなれと投げやりに進んでいった。


食堂も家電の電子音だけがジーと響くだけで静かだった。が、人がいて少しギョッとした。おそらく20代くらいの女性。背丈は低く、年齢は顔から自分より上とも下とも取れる顔立ちだった。とりあえず成人として、今日からお世話になります…と挨拶をすると、彼女もリゾートバイト仲間だという事がわかった。彼女は先に食べ終えていたが、親切にも新米の僕にこの食堂のルールを教えてくれた。

自身でコンロを使って温める形式だったので、冷蔵庫に入っていた小鍋にまとめられたすき焼きだったかを温めて、やや冷めたご飯をよそい食事をする。家庭的な味付けだったので、家を追い出された身としては久しい感覚があり胃に沁みた。

彼女は昨日からここに来ているらしく、他にも2、3人リゾートバイトスタッフがいるらしいがまだ会った事がない事や、丹波篠山から来た事、携帯はドコモ以外は特定の場所でしか繋がらない事などを親切に教えてくれた。話の中で僕のひとつ歳下である事がわかった。

会話の中で、少し散策しないかと提案し、初対面の男の誘いに警戒されるかと思ったが快諾してくれた。この施設では寮にテレビはなく、食堂にしかテレビがない。僕のスマホソフトバンクだったので寮では電波が繋がらない。それは彼女も一緒だったので、お互い眠くなるまで退屈するのは間違いなかった。


ホテルの客室から溢れる明かりとロビー近辺にしか街灯からしか光がない。ロビーからグルっとレース場のように車道が一周していたのでそこをまわってみる事にした。

ロビーと丁度反対側くらいまで来ると暗過ぎて前が見えない。

月明かりもないのかと上を見上げると、ふたりで思わず声をあげた。本当に言葉通り、夜空いっぱいに星々と天の川が広がっていた。

"そうか、今日は新月だったな。"と呟いた。その頃の僕は月と運勢の関係性に興味が持っていて、スマホに月の満ち引きを表示するアプリを入れていたのだ。

 


しばらく夜空を満喫して、明日から新生活を頑張ろうとその女の子と挨拶をし、部屋に戻った後も、僕は星々への感動で胸がいっぱいになっていた。親に追い出されて満足な衣食住もできない生活をしてきたが、今までの人生で出会った事のなかったこんなに美しいものに出会えるならこの生活も悪くない。

"追い出された中でもこの生活を楽しみ切ったら俺の勝ちじゃないかクソ親父"と、僕はこの旅を楽しむ事を決めたのだ。


何が起きても我慢さえすれば衣食住は確保できる。失うものは何も無い。ヤケっぱちで怖いものなど何も無い。何があっても何も無い自分に戻るだけ。仕事を辞めて、その気持ちを親に相談もできず自己解決もできなかった実家より数倍晴れやかで自由だった。この時の僕は無力だが無敵だった。