薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

さらば若かりし日々よ

今の家に引っ越して、つまりは一人暮らしを始めてまる4年が経とうとしている中、近所にある定食屋に初めて赴いた。めちゃくちゃ美味い。以後、休みの度にかかさず出向きブランチをそこで取っている。
ついで2、3日前、自宅マンションのエントランスを出てすぐ向かいにある燻製バーにも向かった。めちゃくちゃ美味い。定食屋の店主とは同級生だそうだ。
はっきりと考えているワケでもなく、なんとなくのご近所巡りなのだが、今更ながら近所の店をまわっているのは、いつ、ここでの生活を終えてもいい心の準備をしたいのだろうと思う。
今の家は家賃も安く、特に不満はないのだが、強いて不満を言うのであれば、シャワーの温度調整が旧式であり人を泊める時に少し恥ずかしい事と、コンロが一つしかなく、自炊へのモチベーションを維持できないくらいで、独身男子にはさして問題はなかったが、ここに留まっていてはならないような気に駆られている。しがみついている気がするのだ。家賃の安さで浮いた分は結局飲み代に浪費しているし、シャワーの不便さへは友人に笑ってごまかしている。
ワンステップ、生活の質を上げたいのだ。人としての質も向上させたい。
現状の自分の悪さはもっと内面にあるのかもしれないが、外堀から変えていこうとするのもアリだろう。
この終わりを感じている気持ちを尊重し、引っ越しの日を明確にしていきたいと思う。

夜のコーヒーショップ

仕事を終えて、明日は休みで暇を持て余していたので、行きつけのコーヒーショップに立ち寄ることにした。
いつもマスターに任せているが、おそらく今日もエチオピアを入れてくれるだろう。僕は「お任せします。」と一言、エチオピアを注文した。


昨日、職場の仲間内から招待があった、テレビゲーム用のグループラインが通知の数字をドンドン上げていく。
僕は一言詫びのメッセージを入れ、グループを退会し、気持ちをコーヒーに移した。


11月の半ばに差し掛かるが、上着がいるか要らないかくらいの過ごしやすい気候もあって大変心地良く、本を持って来なかった事を後悔したが、今日はコーヒーを楽しめとのお告げだろうと割り切った。


コーヒーは温度によって、強く感じる味覚が変わるらしい。
僕は夜のコーヒーショップの方が好きだ。
何事においても、楽しみ方は時間で変わる。

書く理由

YouTubeでおもしろい話をしていた。

産業革命で、全てのものが一点ものだった時代から大量生産の時代へ変わり、貴族と庶民の差が薄まって貴族制が崩壊した。


今はネット社会でAmazonUber Eatsが特定の地域であれば1時間で物を運ぶようになり小売店というシステムが崩壊しつつある。


そういった社会の動きに対して自身はというと、ショップスタッフをしつつも出世は求めず、将来に向けて蓄えるほどでは無いがその日の生活を苦する事もない暮らしをし、気まぐれにこのような短い文章を書いて過ごしているが、こういった事を始めた事のキッカケにもなっている話だと感じた。


ネット社会により、あらゆる仕事が奪われていくだろうが、そんな社会で唯一、おもしろい事を提供できる人間の需要は絶対に無くならないと確信している。ユーチューバーが良い例かもしれない。


販売員としてのスキルを上げ、先があるかわからない業界で出世していくよりもおもしろい人間である事の方が安定があると感じているのだ。


これが私の書く理由だ。
いずれはお金を出す価値を感じていただけるものが提供できればと思っている。

ひかりのまち

前を歩く派手な若い女が吐き出したタバコの煙が目に染みて涙が出そうになった。

 

俺はなんでこんな汚い街に優しくされて生きているんだろう。

こんな夜に一人で過ごしてはならないと分かっているのに、あえて一人で過ごしてしまうのは何故なんだろう。

心身が滅入ってしまっている時ほど、悪ふざけをしてみせてしまうのは何故なんだろう。

こんな話を聞いてくれた今夜の飲み仲間は、きっといつか新しい世界を見つけてこの街を旅立って行くんだろう。

俺はあいつらの為にいつだって、力いっぱいの愛情を込めて、「二度と戻ってくんなよ!」と叫ぶだろう。


それはきっと、本当は自分が一番して欲しい事なんだろうと思いながら。

どこもかしこもバチェラーよ。

※筆者は詳しくないのだがバチェラーのネタバレが含まれるかもしれないのでご注意を。

 


職場でもTwitterでも、身近な女性達がバチェラーに夢中だ。バチェラーについて知らない人はWikipediaで検索か、Amazonプライムを契約してみて欲しい。


職場のある女の子が言うには、これまで3シーズンのバチェラーが行われ、男は最終的に自分が一番好きな女性と、自分を一番好いてくれている女性の2択となり、シーズン1、2の男は好きな女性を選んだが後に破局。3に関しては自分を好いてくれていた女性を選んだが1ヶ月後には別れ、その後に自分が好きだった方の女性と交際しているらしい。


元々、僕がAmazonプライムを契約している事もあってこの様なプレゼンが数人の女性から僕に向けてなされたワケだが、いかんせんバチェラーを男性から勧められた事が一度も無く、未だ再生する勇気が出ない。


その女の子からすると"結局男って本能的に追いたい生き物なのね!"という感じの様なのだが、一男性目線でそのままうなづく気分にもなれず、ウーンと細い声で唸るだけの返事となってしまった。


男たちの選択に否定も肯定の思いも無い。共感も無い。ただ、偶然にもその様な話題をしたところであったので気持ちにずっと引っかかっていた。


僕もどちらかと言うと、自身が好いている相手を選ぶ方なのでは無いかと思っているが、追いかける恋愛がしたいという理由とは少し異なる。
僕は他人から向けられる好意の持続には自信が持てないのだが、自分から発する好意の持続には自信があるのだ。
簡単に言うと、裏切られたくないという事かもしれない。


この生き方はなかなか苦しい。
愛情の"量"に返報性は比例しないとだろうし、そもそも、それの向きが的外れであると何も返ってもこない。死ぬほど体力だけを奪われる全力の素振りの繰り返しの様なものだ。


恋は追うか追われるか。人類史が始まって以来、一体どのくらいの年月を費やして女性達はこの議論を続けているのだろうか。


人類史が始まって何万年も出ていないこの答えを、自分達なりに叩き出して付き合っている皆様を本当に尊敬する。


僕はたかだか人生30年で見いだせる気がしない。

 

10歳の僕と初代プレステ

※noteの方のお題として書いたものをこちらへも転載しています。

 

初代プレステを手にしたのは、ノストラダムスの大予言なんて言葉が懐かしい1999年、僕が10歳になって間もない春の事だった。

 

妹が小学校への入学を控える春で、祖父母が妹の学習机を選ぶためにこちらへ来ていた。

 

なかなか机を選び切れない妹の優柔不断さに嫌気がさしていただけなのだが、その不機嫌な僕の顔から、家族が妹ばかりにかまけている事に拗ねているように感じたらしく、それを見兼ねた祖父が買い与えてくれたのが初代プレステである。思いがけない入手だった。

 

家族達がリビングで談笑している中、僕は隣の子供部屋でもくもくと本体とブラウン管の配線をいじりまわし、すぐに起動した。

 

10歳の僕にとって、プレステとは少し大人のイメージがあるものだった。20代の叔父がしていたパラッパラッパーは、当時今より少し不良の様なイメージの強いダンスミュージックの音ゲーだったり、ファイナルファンタジー8ラブロマンス感の強いCMから、子供のプレイするゲームでは無いと長く勘違いしていた。

 

プレステのロゴの表示と共に出る起動音、重厚感のあるエフェクト音がめちゃくちゃかっこよかった。スーファミや64に親しんでいた僕には、プレステの起動音、ディスクの読み込み音など全てが大人を感じるもので、最高にクールだった。

 

本体と共に持ち帰ったゲームは初代デジモンワールド。実はこのゲーム、初めてクリアしたのは僕が26歳になってからである。実に15年越しのクリア。周囲の同級生も、アドバイスをくれる兄や少し年長の友人がいる者しかクリアしていなかった。自他共に認めるなかなかの難易度なのだが、15年も越してクリアできたのは、初期ロットのPS3が初代とPS2のソフトに対応していたおかげである。

 

2020年末に発売を予定しているPS5には、歴代PSソフトの対応の噂があるが、是非搭載して欲しい。また初代やPS2のソフトで懐かしい気持ちを楽しみたい。25年越しに再プレイする価値のある作品、グラフィックばかりを頼りにしたゲームが溢れかえる現代に伝えるべき名作がまだまだたくさん残っている。

曇りなき眼で世界を見たい。

人より良い車を持っているだとか、良い女を何人抱いただとか、
テメェの住処を地べたとの距離で競い合うこの経済主義の気持ちの悪い物差しに今日も嫌気を感じている。


俺は今夜も、最低限の仕事と、腹を満たすだけの食事をし、ただただ文字を書き連ねている。

あの子は今日も、男に自分の気持ちだけをぶつけている。他人が思い通りになると勘違いしている。本当に揺れているのは自分だとも理解できぬまま。


曇りなき眼で世界を見たい。


本当に好きなものにだけ、愛していると言ってやれ。