薄明光線

エッセイテイストな読み物。週一くらいの頻度で更新します。僕の話、時々僕ではない誰かの話。ささやかな楽しみにしてもらえたら幸いです。

湯に溶かされた幸福論

連勤を控えた休日、少し早めに目覚めたせいか昼食後に眠気がきてしまい、特に予定もないためそのまま眠気に付き合った。

目覚めた時には窓から部屋に溢れる光は橙色に変わっていて、このまま何かあるわけでもない休日として1日を終える事もできたが、せっかくの休みをそのまま終えるのも勿体なく思い、駅前の銭湯に行く事にした。

 


男として30年生きてきたが、男の裸を見るのは未だに慣れない。というよりは、同性愛者の場合を除き、男として生まれた人生で、男の裸を見る機会は銭湯やプールの更衣室くらいのものであるわけだから、男だからこそ男の裸体に親しみが感じられないと言うべきかもしれない。女性の裸の方が見慣れた程度には歳をとったかと、くだらない事を考えてるうちに衣服を全て脱ぐ事ができた。

 


かつてのリゾートバイト先の高知では休日にする事が無かったため、よくサウナにこもっていた。それをキッカケにサウナが好きになり、蒸れた裸体のオヤジの群れの中に身を投じる事にも目を瞑れるようになった。

 


サウナに気の済むまで汗を流し、露天風呂へ浸かる。湯の浮遊感に少しだけ身を任せ、半分体が浮いたような状態で上を見上げると、屋根が少し邪魔だが夜空を仰ぐ事ができた。山梨のバイト先の露天風呂では星々を見る事ができたが、大阪の夜空には星一つ見る事ができず、当時の生活が恋しく思い、湯の心地良さのせいか気持ちが大きくなり、"あの自由と放埓の日々へ逆戻りするのも悪くないな。"なんて事が頭をよぎった。


銭湯を満喫し、定番のコーヒー牛乳を腰に手を当て一気に飲み干し帰宅する。

家ではビールと餃子を楽しむと決めていた。

 


最近は休日を持て余していたが、しばらくは休みの度に銭湯でもいいなと思ってしまった。

昼間は喫茶でコーヒーを飲みながら好きな本を読み、露天風呂でさっぱりとした後に酒とツマミが少々美味ければ文句は無い。

ギターを背負って夢を追っていた時代からは信じられないくらいに幸福水準が低いのだが、幸福水準がコントロールできるというのは、幸福と感じられる範囲が広いという事だ。これほど素晴らしい事は無い。